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名古屋地方裁判所 昭和53年(ワ)984号 判決 1983年11月30日

原告

田鍋重則

原告

田鍋アヤ子

原告

田鍋満子

右原告ら三名訴訟代理人

原山剛三

岡崎由美子

山本勉

被告

豊商事株式会社

右代表者

多々良義成

被告

松谷喜秋

被告

佐竹文雄

右被告ら三名訴訟代理人

辻巻真

辻巻淑子

被告

株式会社東海園

右代表者

壁谷龍治

右訴訟代理人

四橋善美

近藤堯夫

今村憲治

高澤新七

主文

一  被告松谷喜秋は原告田鍋重則に対し、金二八六万九三二五円及び内金二五六万九三二五円に対する昭和五二年四月二一日から、内金三〇万円に対する本判決確定の日の翌日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告田鍋重則の被告松谷喜秋に対するその余の請求及びその余の被告らに対する請求並びに原告田鍋アヤ子、同田鍋満子の被告らに対する請求はいずれもこれを棄却する。

三  訴訟費用のうち、原告田鍋重則と被告松谷喜秋との間で生じた分はこれを五分し、その一を被告松谷喜秋の、その余を原告田鍋重則の負担とし、原告田鍋重則とその余の被告らとの間で生じた分は原告田鍋重則の負担とし、原告田鍋アヤ子、同田鍋満子と被告らとの間で生じた分は原告田鍋アヤ子、同田鍋満子の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一当事者について

原告らがいずれも昭和四九年五月頃から被告東海園に雇用され、本件事故当時右被告の従業員として稼働していたこと、被告松谷及び同佐竹が本件事故当時被告豊商事の従業員であつたこと及び被告東海園がホテル業(ホテル東海園)を営むものであることは、当事者間に争いがない。

<証拠>によれば、原告らは被告東海園に雇用された当初から原告重則をリーダーとし、その妻である原告アヤ子及びその娘である同満子をバンド員とする「南条ショー」なる楽団を構成し、ホテル東海園内の宴会場等で一日約二時間程度集団演奏の業務に従事していたものであるが、本件事故当時、原告らの勤務時間は午後三時から午前零時までであり、右演奏業務以外に、原告重則及び同アヤ子はホテル東海園三階のスナックで、同満子は一〇階のパノラマスカイラウンジ(以下、ラウンジという。)でそれぞれ接客業務にも従事していたこと、原告重則は昭和五四年六月二五日、原告アヤ子及び同満子は昭和五三年一一月九日頃被告東海園を退職したこと、また、本件事故当時、小林支配人がホテル支配人としてホテル東海園の営業、渉外関係及び館内の諸種の仕事全般を統轄していたことが認められる(原告らが原告重則をリーダーとし、原告アヤ子及び同満子をバンド員とする「南条ショー」なる楽団を構成し、右楽団の演奏業務にも従事していたこと及び小林支配人がホテル支配人の業務に従事していたことは、原告らと被告東海園との間で争いがない。)。

二本件事故発生の経過について

<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

1  昭和五二年四月二一日午後一〇時五〇分頃、原告重則は同アヤ子とともにホテル東海園三階のスナックで仕事をしていた際、フロントに外部から原告重則宛の電話がかかつているから来て欲しいとの連絡を受けフロントに赴いた。本件事故当時のフロント内の設備は別紙見取図のとおりであり、原告重則はフロント部の裏にある控室に入つて事務用テーブルの上に置かれた電話(右見取図中の1号電話)をとつたところ、従姉妹の山本照子からの電話であり、用件は右山本の属する町内会が同年七月にホテル東海園を利用する際の費用等に関するものであつた。そこで、原告重則は、右テーブルの前の椅子(見取図中の椅子②)に座つて右電話を受けたが、それが終つてすぐに今度は広島県宮島の工務店主から同原告が宮島に購入した土地の道路取付工事の件に関し電話がかかつてきたため、予め用意していた録音装置を電話に取付けた上、再び右椅子に座つて電話を始めた。右録音装置は、これまでの経験から右工務店主の話がよく変わることを知つていた原告重則が、フロントから連絡を受けた際、工務店主からの電話である場合に備えてフロントに持参したものであつた。なお、原告重則がフロントに入つた際、フロント係の田尻、山下の両名がフロントにおり、原告アヤ子が電話中の原告重則の様子を見にフロント内に入つた際も、右山下がフロントにいた。原告アヤ子は、広島県の工務店主から近々原告重則に電話がかかつてくることになつているのを知つており、電話の内容に関心があつたことから、原告重則が電話を受けにフロントに行つた後、その様子を見に行つたもので、少しの間工務店主と原告重則間の電話を立ち聞きしていたが、すぐにスナックに戻つた。

2  被告豊商事は、穀物、繊維、ゴム、砂糖等の先物取引を業とする会社であるが、昭和五二年三月末から新入社員の研修を実施し、同年四月一九日から三泊四日の予定で研修旅行を行なつた。右旅行には新入社員四三名及び引率責任者三名(いずれも右被告の従業員)が参加し、本件事故当日の午後六時頃宿泊のためホテル東海園に到着した。そして、約一時間講習会をした後、午後七時から同九時頃までの間ホテル内の宴会場において被告豊商事の費用で同被告主催の宴会を催した(被告豊商事が本件事故当時新入社員の研修旅行を実施していたこと、右旅行の参加者が本件事故当日の午後七時からホテル東海園において被告豊商事の費用で宴会を催したことは、原告らと被告東海園以外の被告らとの間で争いがない。)。宴会終了後は自由時間となつたが、七、八名の者が引続き宴会場に残つて飲酒していたため、引率責任者である桑原は、右七、八名の者に対し「飲むなら、部屋で飲もう。」と言い一緒に被告松谷らの部屋に行つた。その後、他の部屋からも人が集まり、原告松谷、同佐竹及び右桑原ら一二、三名の者が被告松谷らの部屋で備え付けの冷蔵庫内のビールや追加注文して取寄せたビールを飲み、費用各自負担の私的な宴会を開いたが、ビールを飲み尽したため、午後一一時頃被告松谷がフロントへビールの注文に赴いた。なお、被告松谷がフロントに行く前に、被告豊商事の従業員から電話でフロント係に対しビールの追加注文の電話があつたが、フロント係の田尻又は山下は、午後一〇時一五分を過ぎていたため、ルームサービスはできない旨答えたところ、「殴るぞ。」というようなかなり強い調子の文句を言われたことがあつた。

3  ところで、ホテル東海園では、ルームサービスの実施時間を午後九時三〇分までとしており、各客室にその旨を記載した紙片を貼るなどして客にこれを周知させていたが、右時間後であつても客室からルームサービスを強く要求された場合には午後一〇時一五分まではルームサービスを実施し得るように遅番のルーム係二名を待機させていた。午後一〇時一五分以降に客室からフロントにルームサービスの要求があつたときは、フロント係において「ルームサービスはできないが、酒類であれば冷蔵庫に置いてあるし、三階のスナックや一〇階のラウンジも午前零時まで開いているので、そちらを利用して欲しい。」旨答えるよう従業員を教育していた。また、フロント業務は午後一一時に終了することにしており、本件事故当夜もフロント係の山下、田尻の両名は午後一一時頃業務を終え、従業員寮内の自室に帰つた。なお、フロント業務実施時間中にフロント係以外の者がフロント内に立ち入つたり、フロント業務終了時刻後に従業員がフロント内に立ち入ることは、客からフロント係でない者がフロント係と誤解されたり、あるいはフロント業務が終了しているのに右業務が行なわれているものと間違えられたりして無用な紛争を生ずる虞れがあるため、禁止されていた。そのため、外部からフロント係以外の従業員への私的な電話がかかつた場合には、当該従業員はその電話を中三階の事務所内の電話に切替えて、そこで受信することになつていた。右の禁止事項及び注意事項について被告東海園は、食堂や事務所に張り紙をしたり、各部署毎のミーティンダの際口頭で伝達するなどして従業員に周知させていた。

4  被告松谷がフロントに来た際、フロント部には誰もいなかつたが、付近にいた和服姿の女性から、「中に人がいるから。」と教えられたため、奥の控室に入つたところ、原告重則が事務用テーブルのところで広島の工務店主と電話をしていた。原告松谷は、電話が長引きそうな様子であつたため、別紙見取図のロッカー付近の椅子を引寄せてロッカーの前に座つた。それから、付近の机の上にあつたメモ用紙に注文内容と部屋番号を書き、原告重則に「これ頼んまつさ。」と言いながら右メモ用紙を見せるとともに、突如原告重則の頭部を殴打した。原告重則は、被告松谷が自己をフロント係と勘違いしてビールの注文をしているのだろうと判断し、「私は関係ないんです。」と被告松谷に繰返し言つて工務店主との電話に戻つた途端、被告松谷は原告重則の右側頭部を一回強く殴り、「聞いとんかワリャア、コラッー」と怒声を発した。右殴打により原告重則のかけていた眼鏡が飛び破損した。原告重則は急いで受話器の送話口に手をあて、被告松谷に対し、自分は楽団の者でフロントマンではないから用があつたらフロント部にいるフロント係に言つて欲しい旨述べたところ、被告松谷は控室からフロント部の方に出て行つたため、工務店主との電話に戻つた。被告松谷は、フロント部に誰もいなかつたため約三〇秒後に再び原告重則のところに行き、「お兄さん、これや、早うしてんか。気い短かいさかい、ええ加減にしいや、兄さん。電話切るぜ。椅子のまんまでどんな大事な電話や知らんけど。」と言つた。そこで、原告重則は、工務店主に対し、「一寸済みません。一寸待つて下さい。」と言つて電話を中断し、被告松谷に対し、「僕は全然関係ないんです。人違いです。フロントじやないんです。電話がかかつてきたので話をするのに来ているんです。あんた、ひとつ(又は、「人を」)勝手に殴つておいてそれで済むと思うんですか。」などと言つたところ、被告松谷は、「フロントは休みか。フロントの奴どこへ行つたんや。おう、どや、やつたろやないか。おう、やつたろやないか。」と言いながら、椅子に腰かけている原告重則の胸倉をつかんで引立たせ、もぎ取つた受話器で原告重則の顔面や頭部を数回殴つた。そのため、原告重則は椅子と一緒に仰向けに引つくり返り、後方にあつた金属テーブルの角で後頭部を、床面で尾骨部を強く打つた。更に、被告松谷は、「コラー、フロント、コリャー」と怒声を発しながら、原告重則の胸倉をつかんで引起し、左頸部等を殴つたため、原告重則は再び倒れて金属テーブルの角で後頭部を打つた。被告松谷は、なおも原告重則を引起してその顔面を殴つたため、原告重則は、「おうい、一寸来てくれ。来てくれ。」と悲鳴をあげて助けを呼んだ。被告松谷が最初にフロントに入つてきてから原告重則にメモ用紙を見せるまでの間は約二分、メモ用紙を見せてから原告重則が悲鳴をあげるまでの間は約二分半であつた。

5  原告満子は、午後一一時過ぎに一〇階ラウンジの鍵を締めてエレベーターで三階に降り、中三階の事務所へ行こうとした際、フロント内で大きな怒鳴り声がしているのを耳にした。不審に思いながらもフロント横の階段を上がつて事務所に入り、タイムレコーダーを押し、持つてきた伝票を置いてから、三階のスナックに行き、母親の原告アヤ子に原告重則の行方を尋ねたところ、フロントで電話をしているとのことであつた。その後、原告満子はフロントのすぐそばにあるゲームコーナーに行き、被告東海園の従業員であるバーテンの原田及び田中と一緒にゲームを楽しんでいたところ、「一寸来てくれ。」という原告重則の声が聞こえたため、急いでフロントに駆けつけた。フロント控室に入つたとき、被告松谷が左手で原告重則の襟首をつかみ、右手で顔を一回殴つたのを目撃したため、原告満子は被告松谷に対し、「フロントじやないですよ。言つときますけど、お客さん。」と言つた。原告重則は、右目の目頭、鼻及び口の横から血を出し、「気持が悪い。目まいがする。」と言つていたため、原告満子はスナックにいた原告アヤ子を呼びに行つた。

6  原告満子が同アヤ子に急を知らせた頃、前記原田、田中及び原田の友人宮田もフロント内の物音及び人声を聞いてフロントに入つたところ、控室内で被告松谷が原告重則の襟首を押さえていたため、原田と田中の二人で被告松谷を原告重則から引離した。以後、被告松谷は原告重則に対し何ら暴行を加えなかつた。

7  原告アヤ子が控室内に入つた際、原告重則は机に背をもたせかけて立つており、鼻や口から血を出していたため、事務用テーブルの前の椅子に原告重則を座らせた。被告松谷は、原告重則の傍に立ち、「こいつが先に叩いたので叩いた。豊商事の幹事を呼んでくれ。部屋へ電話してくれ。」と言つていた。午後一一時一〇分頃原告アヤ子は被告松谷の部屋に、原告満子は自室に帰つていたフロント係の山下及び田尻にそれぞれ電話をし、被告豊商事の幹事及びフロント係にすぐフロントに来て欲しい旨連絡した。そして、原告アヤ子は被告松谷をフロントの外に押し出した。

8  前記山下及び田尻がフロントに駆けつけてから間もなく被告豊商事の引率責任者桑原外同被告の従業員数名もフロントに来た。被告豊商事の従業員らは、被告松谷に「どうしたんや。」と尋ねた後、原田、田中、宮田の三名に対し「関係ない者は引込んでおれ。」と言つて控室に入り、原告重則に対し、「先に手を出した方が悪い。俺達はお客様だ。お客様は神様だ。ホテルの従業員だつたら、客に殺されても文句は言えんぞ。」などと口々に言つた。原田、田中、宮田の三名は、被告豊商事の従業員らに殴られてはいけないと思い、言われるままカウンターの外に出てカウンター内の様子を見守つた。原告アヤ子は、原告重則の出血を止めるため原告満子に新しいタオルを取つてくるよう頼むとともに、病院に連れて行くため原告重則を控室からフロント部の方に連れて来たが、原告満子がなかなか戻つて来なかつたため、自ら手拭を取りに三階のスナックに行つた。

9  原告重則は、目まい及び嘔吐感が強くなり、意識がもうろうとしてきたため、別紙見取図のカウンター上の2号電話で救急車を呼ぼうとしたところ、被告豊商事の従業員のうち背の低い男が、「おい、お前どこへ電話するんか。救急車なんか呼ぶ必要はない。」と言つて原告重則の握つていた受話器をもぎりとり、その右肩を突いた。次いで、被告豊商事の従業員のうち背の高い男が、「病院へ行くんだつたら、鼻血を拭いていけ。」と言つてカウンターにあつた雑布で原告重則の顔を拭いた。スナックからフロントに戻つてきてこの状態を見た原告アヤ子は、「やめて下さい。そんな汚いもので何をするんですか。証拠潭滅ですよ。」と言つて、原告重則と背の高い男との間に割つて入り、両者を引離した。原告重則は、「よし、もうこうなつたら一人も許さん。今から警察に電話する。待つておれ。」と言つて別紙見取図のカウンター上の3号電話で警察に連絡しようとしたところ、右の背の高い男が「警察を呼ばんでもよい。話は俺達がつけてやる。離せ 離せ。」と言つて原告重則との間で電話の取り合いになつた。そして、背の高い男は受話器で原告重則の左胸を突いたため、原告重則は後によろけてコンクリート壁の角で左側頭部を打つた。フロント係の田尻は、原告重則が前方に倒れかかつたため、後方から羽交締めの形で抱き留めたが、原告アヤ子は、「田尻さん離しなさい。浅野内匠頭を知つているでしよう。」と言つて原告重則を抱きかかえ、控室に連れて行つて事務用テーブルの前の椅子に座らせた。その後は、被告豊商事の従業員は原告重則に対し何ら暴行を加えなかつた。

10  フロント係の山下は、警察への連絡等をめぐつて原告重則と被告豊商事の従業員との間に小競り合いが生じた上、フロント付近には他の宿泊客も集まつてきて人だかりがし、事態の収拾に困つたため、フロント係の田尻とも相談の上、小林支配人を呼んで収拾して貰うことにし、中三階の事務所から小林支配人の自宅に「原告重則が殴られた。お客さんが怒つているのですぐ来て欲しい。」旨電話した。

11  原告重則は、しばらく控室で休んだ後、録音機と破損した眼鏡を持つてフロント部の方に出て行き、被告豊商事の従業員らに対し、「一言だけお前達に言つておくが、勝手なことを言うのは今のうちだ。やがてこの録音機の中からお前達の生命取りが出て来る。」などと興奮した調子で大声で述べた。

12  小林支配人は、山下から電話連絡を受けるや、「そのまま待つていなさい。すぐ着替えて行くから。」と山下に指示した上、直ちに自家用車でホテル東海園に急行し、午後一一時四五分頃同ホテルに到着した(自宅からホテルまでの所要時間は車で約一〇分)。そして、控室で椅子に座つていた原告重則に対し「大丈夫か。」と尋ねたところ、同人は「大丈夫です。」と答えたが、「とにかく医者へ行きなさい。」と指示し、被告豊商事の従業員と話合うためすぐにフロントの外に出た。その際、小林支配人は原告アヤ子から救急車の手配を依頼されたが、「このツーリストは来月七日に客を連れてくるツーリストだから、救急車を呼ぶのだけはやめて欲しい。救急車を呼ぶと警察の方まで連絡されるので、まずい。」と答え、他の従業員に対し原告重則を病院に連れて行くよう指示することもしなかつた。当時、西浦温泉地区を管轄する消防署から同地区にあるホテル、旅館等に対し、「救急車を呼ぶのは担架で運ばなければならないような重傷者、重病人の場合だけにして欲しい。」との申し入れがなされていたが、小林支配人が一見したところ、原告重則は鼻血を少し出していたのみで、担架を必要とする程重傷のようには見受けられなかつた。なお、同年五月七日には、被告豊商事の従業員が再び研修旅行でホテル東海園に来ることになつていた。

13  小林支配人及び原告アヤ子は、前記桑原、被告松谷、同佐竹らとロビーで話合い、被告豊商事は、原告重則の眼鏡の修理代と初診料を被告松谷が負担することで示談して欲しいと申し入れ、その旨の示談書を作成するよう要求した。また、被告松谷は、「自分も怪我をしている。足を蹴られた。どうしてくれるんだ。」と盛んに言つていた。しかし、小林支配人は、話合いの途中で原告アヤ子から、被告松谷がボクシングのライセンスを持つているとの話を聞いたため、この件は刑事問題として警察に届け出るしかないと判断し、結局示談の話には応じなかつた。そして、翌朝フロント係の田尻に命じて警察に本件事故の届出をさせた。なお、被告松谷は、合気道を二ケ月程習つたことがあつたが、ボクシングの経験は全くなかつた。また、被告佐竹の身長は一七五センチメートルであり、フロント付近に集まつた被告豊商事の従業員の中では背の高い方であつた。

14  原告アヤ子は、本件事故の日の翌日の午前零時頃厚生館病院に電話で原告重則の診察治療を依頼した上、バーテンの田中に原告重則を右病院に連れて行つてくれるよう頼んだ。田中は、午前一時頃、原告満子及びバーテンの原田とともに原告重則をホテル東海園の車で右病院に連れて行つたが、当時原告重則は意識がもうろうとした状態であつた。そして、原告重則は同日午前一時三〇分頃から医師の診察治療を受けた。

15  被告豊商事の研修旅行参加者は、本件事故の日の翌日、桑原、被告松谷、同佐竹外二名をホテル東海園に残して伊勢のゴム製造工場へ見学に行き、昼頃名古屋で解散した。

16  被告松谷は、原告重則に対する本件傷害事件について名古屋地方裁判所豊橋支部で刑事裁判を受け、昭和五五年六月一六日、「懲役一〇月、執行猶予二年」の判決言渡を受けた。被告佐竹も被疑者として取調べを受けたが、不起訴となつた。

以上の事実が認められ<る。>

ところで、原告らは、被告佐竹が原告重則に対し請求原因二2記載の暴行を加えたと主張し、<証拠中>には、右認定9の事実のうち背の高い男は被告佐竹であつて、同被告は警察に電話しようとした原告重則の左胸を受話器で突くなどの暴行を加えたとの供述部分があるが、右供述部分は、<証拠>に照らして措信し難く、他に右主張事実を認めるに足る証拠はない。

かえつて、<証拠>によれば、被告佐竹は、同僚からフロントで被告松谷が何かしたとの話を聞き、部屋にいた者と一緒に階段を降りてフロントに行つたところ、既にカウンターの外に被告松谷、桑原ら被告豊商事の従業員と他の宿泊客合計一〇名以上の者がおり、カウンター内では原告重則が破損した眼鏡とテープレコーダーを両手に持ち興奮した調子で自己が被告松谷から暴行を受けた経緯をその場にいる大勢の者に説明していたことが認められるところ、<証拠>によれば、原告重則が眼鏡と録音機を手にして被告豊商事の従業員らに「この録音機の中からお前達の命取りが出て来る。」などと述べたのは、警察や救急車への電話連絡をめぐつて原告重則と被告豊商事の従業員らとの間に小競り合いが生じた後であることが認められるから、被告佐竹がフロントに来た際には被告豊商事の従業員の原告重則に対する暴行はすべて終つていたものと認めるのが相当である。

三原告重則の受傷の部位・程度について

<証拠>によれば、次の事実が認められる。

1  原告重則は、被告松谷及び被告豊商事の氏名不詳の従業員から受けた前認定の暴行により、頭部・顔面・腰部打撲、鼻出血、頸部挫傷、左頸部リンパ節腫大、両内耳性難聴、中枢性平衡障害、自律神経失調症の傷害を受け、その治療中に薬剤の服用によりアレルギー性皮膚炎になつた。初診時における外科的他覚的症状は鼻出血及び顔面打撲が主で、眼底検査、腰椎穿刺検査、脳波検査、レントゲン検査の結果はいずれも正常であつたが、聴力検査耳鳴検査、平衡機能検査等の耳鼻科的検査では自覚的及び他覚的な異常が認められた。なお、左頸部リンパ節腫大は、本件事故後リンパ節が肥大してきたため厚生館病院での第一回目の入院中である昭和五二年五月一〇日に摘出手術がなされたものであるが、もともと結核性リンパ節炎が生じていたところに外的な強い刺激が加わつてリンパ節が急に肥大したもので、大変珍しい事例であつた。

2  原告重則は、右傷害に対する治療のため、厚生館病院に昭和五二年四月二二日から同年六月一二日までと同年一一月九日から同年一二月一日まで合計七五日間入院し、同年六月一三日から同年一一月八日までと同年一二月二日から昭和五七年二月四日まで合計八七一日間通院した。また、耳鼻科的治療のため、後藤医院に昭和五二年七月一九日から同五四年八月三一日まで合計五三七日間通院した。更に、豊橋市民病院にも昭和五二年六月一五日頃から通院した(終期は不明)。

以上の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

ところで、被告東海園以外の被告らは、原告重則の難聴は本件事故以前からあつたものと主張し、<証拠>によれば、原告重則は一八歳の頃からバンド演奏の仕事をしていたものであるが、ホテル東海園においてバンド演奏業務に従事するようになつて間もなくの頃より原告重則の演奏する楽器の音が大き過ぎるとの客の苦情が年に一回ないし二、三回ホテル東海園に寄せられたため、再三小林支配人が原告アヤ子を通じて原告重則に注意したが、あまり改善されなかつたこと、新聞や週刊誌に、ロックコンサートの大きな音が原因で中程度の難聴になつたという珍しい症例やヘッドフォン・ステレオによつて音楽を大音圧で毎日一定時間聞き続けると一〇年後には一過性の聴力低下と同程度の永久的な聴力障害を起す虞れがあるとの学説を紹介した記事が掲載されたことがあることが認められる。しかしながら、<証拠>によると、原告重則としては客の要求によりやむなく大きな音で演奏したことがあつたもので、本件事故以前に難聴を自覚したことも難聴の治療を受けたこともないこと、また、ホテル側に寄せられた客の苦情の中には、ステージの近くにいた客や楽団演奏サービスの対象外の客からの苦情も含まれていたことが認められる上、<証拠>によれば、原告重則の耳鼻科的治療に当つた後藤医師も、「本件事故後から平衡障害や耳鳴が生じていること、原告重則の年令からして老化現象を考える必要はないこと、鼓膜の状態からみて以前に耳の病気をしたことがないと思われることからして、原告重則の難聴は本件事故により内耳に変化が生じたため発生したものと考えざるを得ない。」旨述べているから、右被告らの右主張は採用できない。

また、右被告らは、左頸部リンパ節腫大については、それが結核性のもので、外力によつて肥大することは極めて稀であることを理由に、アレルギー性皮膚炎については原告重則の特異体質によるものであることを理由にいずれも本件事故と相当因果関係がない旨主張するが、前認定事実によれば右のリンパ節腫大は本件事故という非日常的な外的な強い刺激が加わることがなければ摘出手術を必要とする程急激に肥大することはなかつたものと考えられるから、本件事故による外力を主因として発生したものというべきであり、右皮膚炎が本件事故による負傷を主因として発生したものであることは明らかであるから、右各症状の発生について原告重則の潜在的病巣の存在及び体質が寄与したとはいえ、本件事故と右各症状との間には相当因果関係があるものと判断するのが相当である。

四被告らの責任について

1  被告豊商事の責任

被用者の暴力行為について使用者に民法七一五条の使用者責任が認められるためには、少なくとも当該行為が使用者の事業の全部又は一部を遂行する過程でなされたものであることが必要不可欠の要件であると解するのが相当であるところ、前認定事実によれば、被告松谷及び被告豊商事の氏名不詳の従業員二名の原告重則に対する暴力行為は、被告松谷が被告豊商事主催の行事終了後の自由時間中に同僚と私的な宴会を催していた際、フロントへ右宴会用のビールを注文に赴いたことが契機となつて発生したものであつて、被告豊商事の事業を遂行する過程でなされたものではないから、被告豊商事は本件事故について使用者責任を負わないものというべきである。

2  被告松谷の責任について

前認定事実によれば、被告松谷は、民法七〇九条及び七一九条一項に基づき、原告重則が本件事故により蒙つた後記損害を賠償すべき義務があることが明らかである。

3  被告佐竹の責任について

被告佐竹が原告重則に対し暴行を加えた事実を認めることができないことは先に判断したとおりであるから、被告佐竹に民法七〇九条の責任があるとの原告らの主張は理由がない。

4  被告東海園の責任について

(一) 債務不履行責任

一般に、使用者は労働者に対し雇用契約に付随する信義則上の義務として、労働者の労務遂行のための場所、施設もしくは器具等の設置管理又はその遂行する労務の管理に当つて労働者の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務を負つているものというべきであり、右安全配慮義務の中には、業務上の災害が発生した場合には右災害の拡大や災害による損害の発生・拡大をできる限り防止する措置をとるべき義務も含まれると解するのが相当である。しかして、前認定事実によれば、本件事故は原告重則が外部からかかつてきた私的な電話を受けている際に発生したものではあるが、原告重則の勤務時間中に被告東海園の施設内で発生したもので、当時原告重則は被告東海園の支配管理下にあつたこと、原告重則の担当業務の中には、楽団演奏業務及びスナックでの接客業務のみならず、ホテル内においてホテル利用者から自己の狭義の担当業務以外の業務に関し注文、質問等を受けた場合には、これを担当者に取次ぐなり、適宜自ら処理する等の接客業務も当然含まれているところ、本件事故は、ホテルの客である被告松谷が原告重則をフロント係の従業員と誤認し、ビールの注文をしたことが発端となつて発生したものであつて、被告松谷らの加害行為と原告重則の業務との間に明らかな関連性があること(なお、本件事故が発生したについては、原告重則にも被告東海園が従業員に周知させていた前認定の禁止事項及び注意事項に反してフロント係でないのにフロント内に立ち入り、フロント業務終了時刻後もフロント内で私用電話を続けていたこと及び被告松谷に対する応対にやや適切さを欠いた過失があり、それが事故発生の一因となつているけれども、前認定の本件事故発生の経緯を通観すると、原告重則が恣意的に自ら危険を招いたとまではいうことができない。)からして、本件事故は業務上の災害と認めるのが相当である。

そこで、原告ら主張の具体的安全配慮義務違反の有無の点について以下順次検討する。

(1)  請求原因四3(一)(2)(ア)の主張について

本件事故当夜、被告豊商事の従業員からフロント係に対しビールの追加注文の電話があり、フロント係において、右注文が午後一〇時一五分を過ぎた後のものであつたため、ルームサービスはできない旨答えたところ、「殴るぞ。」というようなかなり強い調子の文句を言われたことは前認定のとおりであるが、その際のフロント係の説明が不充分であつたことを認めるに足る証拠はない。かえつて、被告東海園がルームサービスの実施時間を客に周知させ、午後一〇時一五分以降に客室からフロントにルームサービスの要求があつた際にフロント係がとるべき措置についても従業員を教育していたことは、先に認定したとおりである。また、原告らは、フロント係としては被告豊商事の従業員の前記電話内容からして、右従業員によるホテル又はその従業員に対する危険な行為が充分に予見し得たのに、それを防止する適切な処置をとらなかつたとも主張するが、前認定の事実関係に照らすと、フロント係において前記電話内容から直ちに本件事故のような事態の発生を充分予見し得たものとは認め難い上、フロント係としては、被告東海園から教育を受けたとおり客に説明し、所定のフロント業務終了時刻までフロント内に留まつておれば足るところ、山下、田尻の両名は右終了時刻までフロント内に留まつていたのであるから、何ら職務懈怠行為はなかつたというべきである。

(2)  同(イ)及び(エ)の主張について

原告らは、山下、田尻の両名は、被告松谷らの暴行を目前にしながらこれを阻止する手段をとらず、救急車・警察への連絡をすることもしなかつたと主張するが、右両名がフロントに急行したときは既に被告松谷の暴行が終つていたことは、前認定のとおりである。もつとも、右両名は原告重則が警察等へ電話をしようとして被告豊商事の従業員と小競り合いを生じたときは、田尻において原告重則を背後から抱き留めた程度で他に特段の措置をとらなかつたのであるが、前認定の事実関係からすると、右両名は、被告豊商事の従業員の気勢に押されて仲裁に入りかねたものと推測されるのであつて、警備担当者であればともかく、フロント係としてはやむを得なかつたものといわざるを得ない。また、右小競り合いは、原告アヤ子の処置によつて比較的短時間で終り、その後は被告豊商事の従業員の原告重則に対する暴行はなかつたこと、現場には原告重則の妻子である原告アヤ子、同満子もいたこと、その他前認定の原告重則の言動及び外見等の諸事情を総合すると、山下、田尻の両名において上司の指示を待たずに直ちに警察及び救急車への手配をしなければならない程の必要性はなかつたというべきである。更に、右両名は一フロント係に過ぎず、その職責及び地位からして被告東海園の前記安全配慮義務の履行補助者には該当しないというべきであるから、たとえ、右両名に条理上なすべき措置を怠つた過失があつたとしても、このことから直ちに被告東海園に安全配慮義務違反があつたということはできない。

(3)  同(ウ)及び(オ)の主張について

原告らは、小林支配人が山下に対し暴行の拡大を防ぐ措置をとるよう指示しなかつたばかりか、救急車・警察への手配はすべきでない旨命じたと主張するが、山下が小林支配人に電話をした当時、被告豊商事の従業員の原告重則に対する暴行が既に終つていたことは前認定のとおりであり、小林支配人が山下に対し救急車・警察への手配をすべきでない旨命じたとの点については、これを認めるに足る証拠がない。もつとも、前認定事実によれば、小林支配人は原告アヤ子に対し救急車への手配は差控えるよう述べ、他の従業員に対し原告重則を病院に連れて行くよう指示することもしなかつたのであるが、その当否の点はともかくとして、原告重則の治療が遅れたことによつてその傷害の程度が拡大したことを認めるに足る証拠はないから、小林支配人が原告重則に直ちに治療を受けさせる措置をとらなかつたことと原告ら主張の原告重則の損害の発生との間には相当因果関係がないものといわざるを得ない。

以上の次第であるから、被告東海園の債務不履行に関する原告らの主張は理由がない。

(二) 不法行為責任

前記(一)(3)において説示したのと同様の理由により被告東海園の不法行為責任に関する原告らの主張も理由がない。

五損害について

1  休業損害

(一)  原告重則の休業損害

(1) 本給及び楽団手当

<証拠>によれば、次の事実が認められる。

(ア) 原告重則は、本件事故に基づく前記傷害のため昭和五二年四月二二日から同五四年六月二四日まで二六か月間就労し得なかつた。

(イ) 原告重則が被告東海園から支給を受けた昭和五一年一一月五日支給分から同五二年四月五日支給分までの六か月間の本給は合計五七万四〇八九円であり、一か月平均額は九万五六八二円(円未満四捨五入、以下同じ)であつた。また、原告らは、本件事故前被告東海園から楽団手当として演奏回数一回当り原告ら全体で三〇〇〇円の支給を受けており、右六か月間の原告らの楽団手当は合計一六七万二〇〇〇円(一か月平均額は二七万八六六七円)であつた。原告アヤ子及び同満子は、本件事故後も約二か月間二人で楽団演奏業務を続けたが、楽団手当は一回当り二〇〇〇円に減額された。

以上の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

右認定事実によれば、本件事故前における楽団手当の原告ら内部間での分配割合がどうであつたにせよ、原告重則が本件事故により蒙つた楽団手当についての休業損害額は、本件事故がなければ原告ら全体が支給を受け得た楽団手当の三分の一相当額であると認めるのが相当である。

ところで、被告らは、原告重則の治療が長引いたのは、その年齢やもともと神経質で身体が弱く、耳も遠かつたという同原告の肉体的・精神的素因によるものであるから、本件事故と相当因果関係のある原告重則の損害は実際に生じた損害額よりも相当程度減額されるべきである旨主張するが、難聴が本件事故以前から存在していたとの主張事実が認められないことは既に説示したとおりであり、原告重則が神経質で体も弱かつたとの点については、これを認めるに足る証拠はない。かえつて、<証拠>によれば、後藤医師が原告重則に対しコーネルメディカルインデックス検査を実施した結果、本件事故前の自律神経性愁訴、精神性愁訴は正常であつたが、本件事故後は正常範囲を大きく越えていたところ、右医師が治療を開始して半年後頃から精神性愁訴はほぼ正常になり、自律神経性愁訴も徐々に正常になつたものであつて、右事実からして、原告重則には神経質な性格からくる症状の誇大化や詐病の疑いがなかつたことが認められ、また、<証拠>によれば、厚生館病院の村松医師も、原告重則はノーマルな部類に属する旨判定していることが認められる。なお、左頸部リンパ節腫大及びアレルギー性皮膚炎については、その発症に原告重則の潜在的病巣の存在や体質が寄与していたことは、前認定のとおりであるが、右素因の寄与は原告重則が自ら選択したものではなく、違法な加害行為によつて強制されたものである上、前認定のとおり右各症状は本件事故による外力が主因となつて発生したものであるから、右素因の寄与を理由に損害額を減額するのは公平の理念に反し相当でないというべきである。

そうすると、原告重則が本件事故により蒙つた本給及び楽団手当分の休業損害額は、次の算式のとおり四九〇万二八四六円になる。

(9万5682円+27万8667円×1/3)

×26=490万2846円

(2) チップ

原告らは、本件事故前楽団演奏により客から一か月平均で少なくとも二九万円のチップを得ていたと主張し、原告アヤ子本人尋問の結果中には、チップ収入の一か月平均額は原告ら全体に対する楽団手当額とほぼ同程度であつたとの供述部分があるが、右供述部分は次の理由によりたやすく措信し難く、他にチップ収入額を確定し得るだけの証拠はない。

(ア) 右本人尋問の結果によれば、もともとチップの提供及びその額は全く客の自由意思によるもので、収入額が不確定のものであり、また、原告らはチップ収入額について何ら記録をしておらず、所得税の申告もしていなかつたことが認められること。

(イ) 原告アヤ子は、原告ら主張のチップ収入額を裏付ける根拠として、本件事故前は原告ら及び原告重則の母の四人家族で毎月少ないときで三〇万円、多いときには九〇万円貯金していたほか、特に原告重則においてしばしば高価な品物を買つた旨供述し、<証拠>によれば、少なくとも原告らは、原告重則又は原告アヤ子名義で昭和五一年九月に一〇万円、同年一〇月及び一一月に各三〇万円、同年一二月に四〇万円、昭和五二年一月に三〇万円それぞれ定額郵便貯金として預け入れたことが認められる(なお、<証拠>によれば、原告らは、昭和五二年一二月に元金合計九〇万円の定額郵便貯金の払戻しを受けたことが認められるところ、<証拠>中には、右九〇万円のうち五〇万円は昭和五一年九月に、四〇万円は同年一〇月に預け入れたものである旨の記載及び供述部分があるが、昭和五一年当時の定額郵便貯金の利率及び右支払金内訳書記載の利子額からみて預け入れ時は昭和五一年九月より前であつたと推定される。)。しかしながら、原告アヤ子本人尋問の結果によれば、原告アヤ子及び同満子が被告東海園から支給を受けていた本給は原告重則のそれと同額であつたことが認められるから、原告ら全体の一か月平均の本給及び楽団手当額は五六万五七一三円になるところ、右尋問の結果によれば、原告ら家族の一か月の生活費は普通の場合二十数万円であつたことが認められるから、特段の事情のない限り、原告らの本給及び楽団手当だけでも一か月に少なくとも二〇万円以上の貯金をすることは可能であつたと考えられる。更に、<証拠>によれば、原告らは毎年六月と一二月に被告東海園から三名同額の賞与の支給を受けており、また、原告重則の母雪野も被告東海園の従業員として寮の留守番等の業務に従事していたことが認められるのであつて、右賞与及び母雪野の賃金収入を合わせると、原告ら家族全体の収入は前認定の額を越えることが明らかであること、<証拠>中には前認定の貯金の他にも原告らが多額の貯金をした旨の記載があるが、これを裏付けるに足る証拠がない上、右書証においても昭和五〇年一〇月から同五一年七月までの間については貯金をした旨の記載がないこと、原告アヤ子が原告らにおいて被告東海園勤務中に購入したと述べる種々の高価品についても、その購入時期及び購入価格を明らかにする的確な証拠がないことを併せ考えると、チップ収入額を裏付ける根拠として原告アヤ子が述べていることは、いずれも根拠として薄弱といわざるを得ない。

従つて、原告重則の休業損害のうちチップ分についてはこれを認めることができない。

(二)  原告アヤ子の休業損害

(1) 前記三項において認定した事実に、<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

(ア) 原告アヤ子は、本件事故後も被告東海園での勤務を続け、原告満子と二人で楽団演奏も引続き行なつていたが、昭和五二年六月二九日、胃潰瘍及び胆石症により豊橋市民病院で診察を受け、同年七月初め頃から勤務を休んで同月一一日右病院に入院した。そして、七月一八日胆のう摘出手術を受け、同年八月二日退院したが、その後は通院治療を受け、同年九月末まで勤務を休んだ。一〇月に入つて約八日間程勤務に就いたが、原告重則の付添をするため再び勤務を休み、昭和五三年一一月七日頃まで欠勤した。

(イ) 原告重則の第一回目の入院中は、主として原告重則の母雪野(当時約七〇歳)が付添看護をしたが、原告アヤ子も朝病院へ行つて看病をし、午後三時から午前零時までは被告東海園で勤務するという生活を続け、勤務が休みの日には病院に泊つて看病をした。また、原告アヤ子の入院中は、母雪野が原告重則の通院に付添つたが、それ以外は殆ど原告アヤ子が通院に付添い、原告重則の第二回目の入院中も原告アヤ子が付添看護をした。原告重則は、第一回目の退院時から第二回目の入院時までの間は殆ど毎日のように、第二回目の退院時から昭和五三年一一月までの間も日曜日及び祝日を除いて通院した。

(ウ) 原告重則は、本件事故以来、両耳難聴、耳鳴、目まい感、嘔吐、悪心、身体動揺感(船酔感)、特に強大音聴取時に頭痛、後方転倒感、発汗異常、四肢の痺れ感を来たすようになり、昭和五二年八月初めの時点では、両脚直立検査(開閉眼とも)で後方転倒傾向がみられ、目を閉じ手を挙げてする足踏検査では後方への失調が著明であり、九〇デシベルの強大音を左右の耳に与える音響負荷機能検査では、椅子から転げ落ちたり、書く文字が乱れたりする反応が見られたが、同年暮には船酔感や目まい感はほぼ良くなり、昭和五三年二月頃実施の平衡機能検査では、右耳の方はほぼ正常であつたが、左耳の方はまだ反応が残つている状態であつた。また、厚生館病院での初診時における外科的主症状は、頭痛、頸部痛、腰痛であり、それが軽快したため昭和五二年六月一二日退院したが、退院後も腰痛からくる歩行障害があつたところ、その後薬剤の服用により全身にアレルギー性皮膚炎を生じたため、同年一一月九日から同年一二月一日まで右病院に再入院し、専ら保存的療法を受けた。

以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

(2) ところで、原告らは、原告アヤ子の胃潰瘍及び胆石症は、原告重則の看護による精神的・肉体的疲労に加え通常どおりの勤務をしたことが原因となつて発症したもので、右発症と本件事故との間には相当因果関係がある旨主張し、原告アヤ子本人尋問の結果中には、豊橋市民病院の医師が「胃潰瘍及び胆石症は、本件事故が原因で起つた。」旨の発言をしたとの供述部分がある。しかしながら、右供述部分は伝聞証拠であり、その正確性、信頼性に疑問がある上、心身の過労(種々のストレス)が胃潰瘍発症の一因となるとの学説が存することは公知の事実であるが、胆石症についてそのような学説が存することを認めるに足る証拠はないから、右供述部分のみによつて本件事故が右病気の原因となつたとの主張事実を認めるのは困難であり、他に右主張事実を認めるに足る証拠はない。

従つて、原告アヤ子の昭和五二年七月から同年九月までの間の休業と本件事故との間に相当因果関係があるとの原告らの主張は採用できない。

また、原告らは、原告アヤ子の昭和五二年一〇月から同五三年一一月八日頃までの休業は原告重則の付添のため休業したものであるから本件事故との間に相当因果関係があると主張するが、付添いを必要とする旨の医師の証明の存在を認めるに足る証拠がない上、たとえ原告重則の症状からしてその入、通院に付添いが必要であつたとしても、原告アヤ子の勤務時間が午後三時から午前零時までであつたこと、原告重則の母が原告アヤ子の代わりに付添うことも可能であつたこと、原告重則の症状は治療により次第に軽快したこと、その他、第二回目の入院時の病名を併せ考えると、原告重則の付添いのため原告アヤ子が右の期間被告東海園の勤務を休まなければならない程の必要性があつたものと認めることはできない。

以上の次第であるから、原告アヤ子の休業損害の請求は理由がない。

(三)  原告満子の休業損害

原告満子は、昭和五二年七月から原告アヤ子も「南条ショー」の仕事をすることができなくなつたため、昭和五三年一一月八日頃まで楽団演奏活動を中断せざるを得なくなつたとして、この間の楽団手当及びチップの逸失利益の損害賠償を求めているが、原告満子と原告アヤ子の二人だけでも楽団演奏を続けることが可能であつたことは、前認定のとおりであるところ、原告アヤ子の休業と本件事故との間の相当因果関係が認められないことは先に説示したとおりであるから、原告満子の右逸失利益の損害と本件事故との間の相当因果関係も認めることはできない。

従つて、原告満子の休業損害の請求も理由がない。

2  原告重則の治療費(但し、後記7項において認定するものを除く。)

<証拠>によれば、本件事故により昭和五二年四月二二日から同五六年一月三一日までの間に要した原告重則の治療費(但し、後記7項において認定するものは除く。)は、五七一万五九八六円であつたことが認められる。

3  原告重則の入院雑費

原告重則の治療経過に関する前認定事実によれば、同原告は本件事故によつて四万五〇〇〇円の入院雑費の損害を蒙つたものと認めるのが相当である。

4  原告重則の通院交通費

(一)  <証拠>によれば、次の事実が認められる。

(1) 原告重則は、被告アヤ子の入院中など原告アヤ子に差支えがあつたときはタクシーで、それ以外は原告アヤ子運転の自家用車で通院したが、往復のタクシー料金は豊橋市民病院へ通院した場合は八八九〇円ないし九八〇〇円、厚生館病院へ通院した場合は三二八〇円ないし三六八〇円、後藤医院へ通院した場合は三七一〇円ないし四二二〇円、厚生館病院及び後藤医院へ通院した場合は四四六〇円ないし、五九〇〇円であつた。なお、通院にバスを利用する場合には、当時の原告重則の住居であつたホテル東海園家族寮から最寄りのバス停留所までの間約七〇〇メートルを、後藤医院に通院する場合は、更にその最寄りのバス停留所から後藤医院までの間約二〇〇メートルを徒歩で往復する必要がある。

(2) 原告重則は、昭和五三年秋頃からかなり治療効果が出て来て入浴とか短距離の自動車運転ができるようになり、同年一一月初めの時点では単独で通院することが可能になつた。

以上の事実が認められる。

(二)  右認定事実に前認定の原告重則の症状を総合して判断すると、昭和五三年一〇月までの間はバスによる通院が困難であつたが、同年一一月以降はバスによる通院が可能になつたものと認めるのが相当である。しかして、原告アヤ子運転の自家用車で通院した場合の通院交通費については、その実費を算定するのが困難であるけれども、本件のように通院付添費の損害が別個に請求されておらず、かつ、近親者の通院付添費として通常認められる額の方がタクシー料金より少ない場合には、右通院付添費の額をもつて通院交通費と認めるのが相当である。そうすると、原告重則は、昭和五三年一〇月までは通院一回当り少なくとも一五〇〇円の通院交通費を要したものと認められるところ、前記甲第二〇、第二一、第九二、第九三号証によれば、同年一〇月末日までの間の通院実日数は少なくとも三五七日であることが認められるから、この間の通院交通費は五三万五五〇〇円になる。

次に、昭和五三年一一月以降についてはバス利用料金をもつて通院交通費と認めるのが相当であるところ、<証拠>によれば、昭和五三年一一月から同五四年一二月までの間に、(ア)厚生館病院及び後藤医院の双方に通院した日数は二一一日、(イ)厚生館病院のみに通院した日数は八一日、(ウ)後藤医院のみに通院した日数は三日と推定されるところ、往復のバス料金は、右(ア)の場合は六〇〇円、(イ)の場合は四四〇円、(ウ)の場合は四八〇円であつたこと、昭和五五年一月から同五六年一二月までの間に厚生館病院に通院した日数は二四二日であり、この間のバス料金は五二〇円であつたこと、昭和五七年一月及び二月に厚生館病院に通院した日数は六日であり、バス料金は六二〇円であつたこと(但し、月途中にバス料金の値上げがあつた場合は、その月に要した交通費はすべて値上げ前の料金によるものとした。)が認められるから、昭和五三年一一月から同五七年二月までの間の通院交通費は合計二九万三二四〇円になる。

600円×211+440円×81+480円

×3+520円×242+620円×6

=29万3240円

従つて、原告重則は八二万八七四〇円の通院交通費の損害を蒙つたものと認めるのが相当である。

5  原告重則の後遺症による逸失利益

(一)  後遺症の部位・程度

<証拠>によれば、次の事実が認められる。

(1) 原告重則の症状は、昭和五四年八月頃固定したが、難聴及び耳鳴が後遺症として残つた。

(2) 難聴の程度は、純音聴力検査の結果では、周波数五〇〇ヘルツ、一〇〇〇ヘルツ、二〇〇〇ヘルツの音に対する純音聴力損失値の平均値は右耳が一五デシベル、左耳が一四デシベルであり、四〇〇〇ヘルツの音に対する右損失値は右耳が四〇デシベル、左耳が三〇デシベルであつた。耳鳴については、右耳は外部からの七〇ないし八〇デシベルの音で遮蔽され、左耳は六〇デシベルの音で遮蔽ざれる。頭位性圧迫性耳鳴検査の結果は陽性であり、頭位の前後左右への傾斜、右左への回旋、耳介後下部、頸動脈洞への加圧により耳鳴が増強し、椎骨動脈等の循環不全の存在が予想される。

(3) 原告重則は、昭和五四年六月二六日頃からホテル南風荘に勤務し、原告アヤ子、同満子とともに楽団演奏業務に従事するほか、右ホテル内のゲームコーナーでの仕事をしていたが、ホテル東海園で勤務中はエレクトーン、アコーディオン、テナーサックス、シンセサイザー、ハワイアンギターを演奏していたのに、ホテル南風荘においては自分の思うようにひけないということでエレクトーンとアコーディオンしか演奏せず、演奏回数も原告アヤ子及び同満子より少なくなつた。その他、雨天の日など天候の悪い日には腰痛や首筋の痛みがある。

以上の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

ところで、原告らは、原告重則の右後遺障害は労働者災害補償保険法施行規則別表第一所定の障害等級の一一級の三の三又は少なくとも一二級に該当する旨主張するので判断するに、労働省労働基準局長作成にかかる障害等級認定基準によれば、一一級の三の三の「両耳の聴力が一メートル以上の距離では小声を解することができない程度になつたもの」とは、両耳の平均純音聴力損失値が三〇デシベル以上のものをいうとされ、また、「難聴を伴い著しい耳鳴が常時あることが他覚的検査により立証可能であるもの」については一二級を、「難聴を伴い常時耳鳴があるもの」については一四級をそれぞれ準用するものとされているところ、右認定事実によれば、原告重則の難聴は一一級の三の三に該当しないことが明らかである。また、著しい耳鳴の存在が他覚的検査により立証可能であることを認めるに足る証拠はないから、原告重則の後遺障害は障害等級の一四級に該当するものと判断するのが相当である。

(二)  後遺症による逸失利益額

前認定の後遺症による原告重則の労働能力喪失率は労働省労働基準局長通牒による労働能力喪失率表に照らし五パーセントと認定するのが相当であり、また、<証拠>によれば、原告重則は昭和三年二月一八日生れであつて、症状の固定した昭和五四年八月頃には満五一歳であつたことが認められるから、症状固定当時の就労可能年数は満六七歳までの一六年間であると認めるのが相当である。症状固定当時の原告重則の賃金収入額は不明であるので、前認定の本件事故当時の収入額をもとにして後遺症による逸失利益を算定すると次のとおり一三〇万五二四七円になる。

(9万5682円+27万8667円×1/3)

本給   楽団手当

×12×0.05×11.5363

労働能力 ホフマン

喪失率 係数

=130万5247円

6  原告重則の慰謝料

前記二項において認定した事実に原告重則本人尋問の結果を総合すると、被告松谷は蒲郡警察署において取調べを受けた際、取調官に対し、重則の方が先に被告松谷を殴つた旨の虚偽の事実を述べたため、原告重則は、同警察署で事情を聞かれた際取調官からあたかも加害者であるかのように言われたことが認められ<る。>

右事実のほか、前認定の本件事故の態様、その前後の経緯、受傷の部位・程度、入・通院期間、後遺症の部位・程度等諸般の事情(但し、原告重則の過失は除く。)を総合考慮すると、原告重則が本件事故によつて蒙つた精神的苦痛に対する慰謝料は二二〇万円と認めるのが相当である。

7  原告重則のその他の損害

(一)  眼鏡、医療用サングラス、上田眼科での治療費等

被告松谷の暴行により原告重則の眼鏡が破損したことは前認定のとおりであるところ、<証拠>によれば、次の事実が認められる。

(1) 原告重則は、厚生館病院での第一回目の入院中に脳神経の障害により瞳孔障害を起したため、昭和五二年四月二六日上田眼科で診察を受けるとともに、医師の指示により医療用サングラスを購入して使用したが、その購入費用は一万四七〇〇円であり、上田眼科での治療費は五七九〇円であつた。なお、右瞳孔障害はその後全快した。

(2) また、原告重則は、本件事故前から遠視であり、度数一Dのレンズの眼鏡をかけていたが、本件事故により眼鏡の枠が破損した上、本件事故後遠視の程度がひどくなつたため、昭和五二年一二月二四日度数2.5Dのレンズ及び眼鏡の枠を新調した。新しい眼鏡の購入費用は八万三〇〇〇円であつたが、以前の眼鏡に比べてレンズ、枠ともやや品質の劣るものであつた。なお、新しい眼鏡を購入するに当つて上田眼科で屈折検査を受けたが、その検査料は八〇三五円であつた。

(3) 前記村松医師は、名古屋地方裁判所豊橋支部で行なわれた被告松谷の傷害被告事故の審理において証人として、「被害者の視力障害は、遠眼近眼等というものであるから、本件傷害事件とは関係がないと考えられる。」旨供述した。

以上の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

右認定事実に前認定の原告重則の受傷の部位・程度を総合して判断すると、瞳孔障害は本件事故による受傷が原因になつて生じたものと認めるのが相当であるが、遠視の進行についてはそれが本件事故によつて生じたものであるかどうか疑問があるといわざるを得ず、他に遠視の進行と本件事故との間の因果関係の存在を認めるに足る証拠はない。

ところで、眼鏡の調達費用のうち、枠の分は少なくとも全体の費用の四分の一である二万〇七五〇円を下らないものと推定されるから、原告重則は本件事故により眼鏡の枠及び医療用サングラスの調達費用三万五四五〇円ならびに上田眼科での治療費五七九〇円の損害を蒙つたものと認めるのが相当である。

(二)  背広、ネクタイ、ワイシャツ

<証拠>によれば、本件事故当時原告重則が着用していた背広、ネクタイ及びワイシャツはいずれも本件事故によつて血がにじみ使用不能になつたため、原告重則は、昭和五二年一二月下旬右背広と同程度の背広を七万三〇〇〇円で新調したことが認められる。

ところで、背広、ネクタイ及びワイシャツは生活上必要不可欠のものであり、かつ、使用開始後のものは特段の事情のない限り交換価値がないから、それが不法行為によつて滅失又は使用不能となつた場合は、同程度の品物の再調達価格をもつて損害とみるのが相当である。しかして、弁論の全趣旨によれば、ネクタイの再調達価格は二五〇〇円を、ワイシャツのそれは四〇〇〇円を下らなかつたものと認められるから、原告重則は本件事故により、背広、ネクタイ及びワイシャツの再調達価格合計七万九五〇〇円の損害を蒙つたものと認めるのが相当である。

(三)  診断書

<証拠>によれば、原告重則は本訴請求及び労災補償請求に必要な診断書の発行手数料として少なくとも六〇〇〇円の出費を余儀なくされ、同額の損害を蒙つたことが認められる。

(四)  スリーマーサー、椅子マッサージ機、耳鳴丸

<証拠>によれば、原告重則は本件事故による傷害の治療及び症状緩和のため、昭和五三年四月及び五月に耳鳴及び難聴の治療器スリーマーサーを三万七〇〇〇円で、椅子式自動マッサージ機を六万五〇〇〇円で購入して使用し、一六五〇円の耳鳴丸(薬)を五回買つて服用したが、右治療器具及び薬剤の購入に当つては、厚生館病院の医師や後藤医師に相談し、その賛意を得たことが認められる。

右認定事実によれば、原告重則は本件事故により右治療器具及び薬剤の購入費合計一一万〇二五〇円の損害を蒙つたものと認められる。

(五)  厚生館病院での治療費及び付添看護料

厚生館病院での第一回目の入院時には原告重則の母が、第二回目の入院時には原告アヤ子が付添つたことは前認定のとおりであるところ、<証拠>によれば、原告重則は、厚生館病院での治療費(但し、入院料の一部及び差額ベッド代)及び付添看護料として少なくとも八万〇七四〇円の損害を蒙つたものと認められる。

(六)  まとめ

以上によれば、原告重則は本件事故によりその他の損害として合計三一万七七三〇円の損害を蒙つたものと認められる。

六消滅時効の抗弁について

被告らは、原告重則の休業損害及びその他の損害に関する追加請求分の損害賠償請求権は本件事故発生の日の三年後である昭和五五年四月二一日をもつて時効により消滅したと主張するが、昭和五三年四月二〇日に提起された原告重則の本訴請求は一個の債権の一部についてのみ判決を求める趣旨を明らかにして訴えを起したものではないことが記録上明らかであるから、請求の拡張時が不法行為時から三年を経過していても、本訴提起による時効中断の効力は請求拡張部分にも及んでいると解するのが相当である(最高裁判所昭和四五年七月二四日第二小法廷判決、集二四巻七号一一七七頁参照)。

従つて、被告らの右主張は理由がない。

七過失相殺について

前認定の本件事故発生の経過によれば、原告重則は、被告東海園が従業員に周知させていた前認定の禁止事項及び注意事項に反し、フロント係でないのにフロント内に立ち入り、フロント業務終了時刻後もフロント内で私用電話を続けていたため、被告松谷からフロント係と誤認されてビールの追加注文を受け、これが発端となつて被告松谷らから暴行を受けるに至つたものであるから、本件事故が発生したことについては、原告重則にも右の点に過失があつたというべきである。更に、原告重則は、被告松谷に対し、「自分は関係がない。用があつたらフロント部にいるフロント係に言つて欲しい。」などと述べて私用電話を続けたのであるが、接客業に従事するホテル従業員としては、もとより私用よりも接客業務の方を優先させるべきであつて、客である被告松谷の用件をまず確かめ、それが自己の狭義の担当業務以外の業務に関する質問、注文等であれば、これを担当者に取次ぐなり、自ら適宜処理する(右注文がホテルとして応じかねるものである場合は、その旨充分説明することも含まれる。)のが当然であり、原告重則が右のような措置をとつておれば、被告松谷から前認定の程の暴行を受けずに済んだものと考えられるから、右の点にも過失があつたものといわざるを得ない。

被告らは、原告重則が被告松谷の胸を突くなどして同被告を外へ押し出そうとしたと主張し、<証拠>中には右主張に副う供述部分があるけれども、右供述部分は原告重則本人尋問の結果に照らしてたやすく措信し難く、他に右主張事実を認めるに足る証拠はない。

前認定の本件事故発生の経過からすると、原告重則の右過失の割合は二割と判断するのが相当であるところ、損害に関する前認定事実によれば、本件事故と相当因果関係のある原告重則の損害額は合計一五三一万五五四九円であるから、これから過失相殺分の二割を控除すると、残額は一二二五万二四三九円になる。

八損害の填補について

原告重則が休業期間中労災保険より休業補償給付及び休業特別支給金として楽団手当の三分の一及び本給についてそれぞれ八割の支給を受けたことは当事者間に争いがないところ、<証拠>によれば、右支給額は三九六万七一二八円であつたことが認められる。

また、<証拠>によれば、原告重則は労災保険から療養補償給付として五七一万五九八六円の支給を受けたことが認められる。

そこで、過失相殺後の損害額一二二五万二四三九円から右填補分九六八万三一一四円を控除すると、残額は二五六万九三二五円になる。

九弁護士費用

本件事案の内容、審理の経過、認容額等本件諸般の事情を総合考慮すると、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用の賠償相当額は三〇万円と認めるのが相当である。従つて、これを加えると、被告松谷が原告重則に賠償すべき金額は二八六万九三二五円になる。

一〇結論

以上の次第であつて、原告重則の被告松谷に対する本訴請求は、二八六万九三二五円及び内金二五六万九三二五円に対する本件事故発生の日である昭和五二年四月二一日から、内金三〇万円(弁護士費用相当額)に対する本判決確定の日の翌日から各支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容し、その余は理由がないから棄却し、原告重則のその余の被告らに対する本訴請求及び原告アヤ子、同満子の被告らに対する本訴請求はいずれも理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(川端浩 棚橋健二 山田貞夫)

〔別紙〕

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